孤独から自由になるリーダーシップ

ひとりぼっちになりがちな人のためのココロとカラダのつくり方

異文化理解の出発点とは?

こんにちは!平林孝之です。

もう北京に住み始めて8年目。来年の4月になれば、もう9年目に突入してしまいます。


僕の場合、配偶者がたまたま中国人になっていたというだけで、元々中国に凄く興味があったわけではないのですが、こちらに来てから築いている友人や同僚の中国人との関係は良好と言って良いでしょう。


ウチの妻は良くも悪くも”スーパー中国人”と言った感じの人間なので、いろいろ勉強させてもらっています(笑)おかげで周りの人たちがみんなとても優しく見える。

 

このような海外生活や外国人との交流というと、”異文化理解力”というものを問われますよね。

そして、我々日本人が一般的に異文化理解・異文化コミュニケーションという言葉から想像することは

 

コミュニケーションを円滑に行うためには、相手に対する敬意を忘れないことや、相手の考え方や立場からものをみるといった能力などが必要である[1]。異文化コミュニケーションを実践する中で、まったく自分と違う価値観、常識を持つ人と付き合い、観察し、真似をする(どうして、そういうふうにそのことをするのか、などを具体的に理解していく)ほど、自分の常識、価値観、文化が広くなっていく[9]。日本はその地理的条件から、かなり意識して異文化と触れ合わないと、いつまでも「自文化中心的段階」[10]から抜け出せない。異文化を学ぶ手段はさまざまあり得るが、「旅」は最も強力な手段である[11]。表現力や他者とのコミュニケーション能力は、日本人が苦手とすることの一つだが、「伝える」のではなく「伝え合う」という視点が大切である

(引用:Wikipedia 異文化コミュニケーション)

 

 このようなことでしょう。こうした実践に関しては、私も異論無いです。

 

ただし、日本人の多くの前提にある考え方は

『どんな相手ともわかりあえるはず』

ではないでしょうか?

 

私はこの考え方にはかなりの疑問を抱いている。例えば私の場合、義父母などと共同生活を送っていて、とてもではないが交わることは無いと感じる。

それもそのはず。

日本の高度成長期まっただ中に生まれて思春期時代はバブル経済で、有名企業で働く親の元、比較的裕福な家庭で育った私と

第二次大戦中に中国で生まれ、数十年に及ぶ共産主義における生活、共産党への入党、大躍進政策文化大革命などを経験し、意味不明な迷信じみたことを今でも信奉している人とが

価値観が交わる方がむしろオカシイ。


それともうひとつ。これも私の経験から

私は少しアスペルガー症の毛があります。それで通院などはしたことありませんが。 

アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

 

 

まだ日本にいたときにこの本を読んだのがキッカケで、初めて自分にはその毛があることを知りました。内容の尽くが私のパーソナリティや言動と一致していることが多かったもので。ただし、診断テストなどをすると全く正常ではあります。

 

とはいえ、私自身、この本にはかなり救われました。

それまでは自分が人と交わるのが苦手なのは、自分の性格がひどく歪んでいるからなのか?と思っていましたし、性格矯正的なこともたくさん試みましたが、どれもうまくいかず、こんなことしないと世の中で生きていけないのなら

もう生きていなくていい、とすら思っていたほどに苦痛だったので。日本人はそれほどまでに多様性に不寛容で未成熟。本当にヒドイ。

でも、この本を読んだことによって、自分のこうした特徴は歪みではなくあくまで特性なので、別に直さなければならないようなものでもない、ということも理解することが出来たのです。

こうした特性に気付いて受け入れると、自分に対する見方が変わるだけでなく、相手に対する見方も変わります。


周りの人たちに対して、それまでの見方を一新してどのように変えたのか、というと

周りはみんな外国人。

自分以外はみんな外国人

というものでした。家族も含めてみんな異邦人で異文化人。

 
こういう風に見ることによって変わったことは

相手に対する甘えが無くなったんです。

自分と相手は同一の文化を有しているという風に考えると、自然と相手に対する甘えが生まれてしまいます。

相手も自分の考えを理解してくれるはず、とか
相手は言わなくても私が欲していることを察するはず、とか

でも、そうした期待がかなり無くなりました。

人が怒るときというのは、何かしらの期待を裏切られたときですから、相手に対する期待が無くなったということで、周囲に対して腹をたてることや、諍いそのものがかなり無くなりました。

さらには、多くの人はこうした場面ではこのようなことを好む、とか、多くの人はこうした場面ではこういうことを嫌う、とか

まるで外国人に対して思い遣るように、日本人に対しても考えるようになりました。相手も自分と同じはず、って思っているとこうした思考にはなりません。

 

これが、僕の中の人付き合いに対するブレイクスルー体験となっています。



こうした経験から導き出された結論は

わかり合えないことから始める

です。


日本人に最も多い、わかり合えるはず、という前提での異文化交流は基本的には減点主義です。わかり合えている状態を100点とし、そこまでに対して何が足りないのかと考えるやり方。

それに対して、わかり合えないことから始める異文化交流は加点主義です。0、もしくは1から始める。そもそも最初からそんなに相手に期待していないので、後はひたすら加算されていきます。


「わかり合えるはず」という前提で始める人は大抵、挫折するとそこで諦めるはず。でも「わかり合えない」から始めるなら諦める必要がない。そして、一旦お休みしたとしても、また気が向いたときに再び始められる。


ただ、別にどっちでも良いと思います。自分にフィットする方の考えを選択してそれに準じていけばいい。

 

わかり合えるはず、の交流が前時代的だとするなら、わかり合えないから始める交流というのは、新時代的なんだと思います。


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他の人には色とりどりだろうけど
オレには世界が黄色にしか見えないのだ…

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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