欲張りな人のための”パラレルキャリア”のすゝめ

興味対象が多すぎる、器用貧乏、ゼネラリストなど、色々出来るのに専門家として見られないコンプレックスを持つ人のための処世術

ポジティブやネガティヴって何と比べてるの?

こんにちは、平林孝之です。

今日は午前中に仕事があったので、終わってから一本映画を観に行っていました。「ジャスティスリーグ」ですね。日本はもう封切りしたのでしょうか?

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マーベルコミック原作の実写化映画に対抗して、こちらはDCコミック原作の実写化映画。そして、マーベルのアベンジャーズに対して、DCのジャスティスリーグ

そろそろ「アベンジャーズ3」の公開も近づいているので楽しみ過ぎて仕方ありません…

いずれは「アベンジャーズvsジャスティスリーグ」という映画まで作ってしまいそうな勢いですが、どっちのタイトルが先か?アベンジャーズジャスティスリーグか?で揉めそうです。そうなったら、いっそジャンケンで決めてしまった方が良いことのように思います。


と、この映画を見終わった後、ちょっと感じることがあったのでメモのような意識でこのエントリーを書いています。

 

ポジティブな性格とか、ネガティブな性格とか良く言います。
でもそれって本当なのでしょうか?
その評価は本当?


ポジティブは+(プラス)で、ネガティブは-(マイナス)なので、どこかに0(ゼロ)という基準があるはずですが、こと性格に関しては非常に抽象的過ぎて、明確なゼロのような判断基準が存在しません。

ですから、もしあなたが自分のことをネガティブな性格をしていると感じられて、出来ればポジティブになりたいと願っているのなら、一体誰と比較して、何と比較して自分自身はネガティブだと感じているのでしょうか?

クラスや職場のリーダー的な誰々さんと比べてですか?

男からモテまくりで華のあるA子さんと比べてですか?

または

何も考えていなかったかつての明るい自分と比べて?


恐らく、今の自分のことをネガティブだと感じている人の大多数は、こうして誰か他の人や、過去の自分と比べて、今の自分はネガティブだという評価をしているはず。

でも、その評価ってホントなのかな?ってふと思ったんですよね。



何でこんなことを急に思いついたのか、というと、今日観ていた映画は、極めて単純なエンターテインメント性が強いSFアクション映画です。でも、私はこういう映画を見るのが大好き。

かつて映画DVDなどのバイヤーもしていて、恐らく累計2000本くらいの映画は観てきているであろう私。で、たくさん観てきたからといって、いわゆる芸術性の高い映画が好きになったり、複雑で考えさせられる映画が好きになったかと訊かれても、やはり相変わらずこういう娯楽性の強い映画の方が大好き。ノーテンキ映画バンザイ!です。

(ちなみに過去観てきた映画で一番好きなのは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ。あれはノーテンキではなかったけど、あの壮大さが好き)


ノーテンキが好きってことは、基本的にバカで単純なんです。そして元々は凄く明るい人間なんです。

そのせいか、これまで観てきた映画の大半は好評価(笑)。金返せと思うような映画は皆無。どんなク◯映画という評価の作品でも、大体「まぁこれはこれでええんちゃう?」と流してしまうような人間。

にもかかわらず思春期から今に至るまで、相当な紆余曲折を経てきたせいか、多少難しくモノを考えてしまうようになり、自分のことを比較的ネガティブなひねくれ者だと思い込んでいるフシがあったけど

自分の本質はもっと明るい人間なんだよね、ということも改めて思い出したのです。相対的にみたらどうなのかはよくわからないけど、自分は絶対的にポジティブな人間であることを想い出した。


何でこんなにも暗い方向に流れてしまったんだろう?ということを思い出してみると、周りがあらゆるものを妙に難しく語るのがカッコよく見えていたのでしょう。

それと、ハッキリ覚えていますが16歳の春からやや影のある方向に流れていきました。当時、クラス全体で3ヶ月近いアメリカ集団研修があるという変わった高校に通っていたんですね。

3ヶ月もの間、未熟な高校1年生が集団生活をするとイヤでも色々起こります。そのときに人間関係のイヤなところを体験してしまったせいで、「人って随分くだらないことで争ってしまう」と感じて少し嫌気が指してしまいました。

中学生のときにも軽くイジメに遭っていた時期もあったので、積もり積もって軽くプッツンしてしまったんでしょう。

あとは当時、尾崎豊の歌にかなり傾倒していたのも大きかった。声質が少し似ているということもあって、朝から晩まで聴いていたし歌い尽くしていたので。ずっと歌い続けていると、仮にホントはそうは思っていなかったとしても、その言霊に引きずられていくものです。


しかし、昔と比べて暗くなったとか、人と比べて暗いとか、本当はそんなことはどうでも良くて、「自分の本質はどっちなんだろう?」と時折顔を出すヒントを元に少しずつ思い出していけばいい。

でもこういうことを言うと必ず出てくるのが、「そうは言っても昔には戻れない」という人。

戻れないのではなく、単に戻りたくないだけでしょ。だって居心地が良いんだもんね。

人間って不思議な生き物で、どんなに自分にとって喜ばしくない環境でも、そこに居続けるのに慣れてしまうと変わりたくなくなる生き物。

だからいつまでもネガティブな自分から抜け出せないって勘違いをしてしまう。

でもそれは自分自身で”相対的にネガティブ”だと勝手に感じているだけで、本来の自分がネガティブ、というのとは全く違うんだ、ということを少し意識してもらいたい。


その上で、先ほども言った通り、もしあなたが自分のことをネガティブな性格をしていると感じられて、出来ればポジティブになりたいと願っているのなら、一体誰と比較して、何と比較して自分自身はネガティブだと感じているのでしょうか?

友だちや職場のリーダー的なA雄さんと比べてですか?

男からモテまくりで華のあるB子さんと比べてですか?

何も考えていなかったかつての明るい自分と比べて?

というのを少し考えてもらって、今からどうありたいのか、を考えてみてください。

そして、時間はかかっても構わないので

相対的ネガティブから
絶対的ポジティブな自分を取り戻してください。

基本的にはネガティブなのに
無理してポジティブだった人も
自分を取り戻してください。

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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人に叱られても影響を少なくするために

こんにちは!平林孝之です。

会社で上司などに怒られることはよくありますよね。私は特に営業職をしているときによく詰められていました。

活動量が少ないとか
数字がいっていないとか
今日は何やって過ごしていたのか?とか

営業の仕事以外で上司に叱られた経験というのは皆無なのですが、営業やっていたときだけは結構叱られていました。

他にも私には経験が無いものの

企画書の出来が悪いとか
提案の詰めが甘いとか
こんな簡単なことも出来ないのか?とか
この給料泥棒!とか


色々な理由つけられて上司に怒られますよね。特に日本の会社の上司は怒ります。7年前から北京にある外資企業で2社ほど働いた経験がありますが、日本にいた頃と違って上司に叱られた記憶というものはほぼありません。

こうして20年以上も社会を経験してきて感じるのは、叱られようが叱られずにいようが、パフォーマンスにはさほど影響しない、ということです。

 

日本人マネージャーが部下を叱るというのは完全に労働文化のひとつと化しているようにも思えるので、叱られる立場の身になって、この乗り切り方についてアドバイスしてみようと思います。

これまでよく語られてきた、叱られたときの対処法って色々ありますよね。

  • 上司を「ここでしか威張れない可哀想なヤツ」と思ってやり過ごす
  • 聴いているフリをする
  • ひたすら我慢してやり過ごす
  • もっと前向きに「指導してくれている」と解釈する
  • 五感を使って悪魔のイメージから可愛いイメージに変える

などなど


私はこれ全部試したことがあるんですけど、効果が今ひとつなんですね。こういう方法では怒られた恨みは全く晴れない。最後にある、五感を使って叱ってくる相手のイメージを変えるというNLP方式は比較的効果が高いように思いますが、もっと良い方法があるのではないか、とずっと想っていましたので、少し考えてみました。


叱られることの最大のデメリットは、叱られた側が萎縮してしまうことです。

萎縮するというのは、叱られること自体をとてもネガティブに捉えてしまうことによって発生してしまう心の現象。心の現象というのは、どんなものであろうと身体を通して現れます。

で、萎縮してしまうと身体はどうなってしまうのか?というと

”呼吸が浅くなったり、止まったりしてしまう”のですね。

ですから、叱られるときに冷静に対処して萎縮せずに乗り切るには、叱られている最中に呼吸を深くするのが最も効果が高く、イメージだとかなんとか小難しいことをせずに済みます。


呼吸が浅くなったり止まったりしてしまうと、相手の攻撃の気を非常に受けやすくなってしまいます。故に物凄くネガティブな精神状態になってしまうのです。

従って、相手に叱られているときでも正常な精神状態、比較的ニュートラルな精神状態を維持するには、ずっと深めの呼吸を続けていくのが一番です。

これは何も別に特別な呼吸法を学ぶ必要はなく、自分の呼吸の浅さに気付いて、深く息をするよう心掛けるだけです。

ただし、人間は普通に暮らしていて自分の今の呼吸が浅いのか深いのか、ということに気付くことが出来ません。

こうしたことに気付けるようになるには、毎日5分~10分でも構わないので静かにじっと目をつむって瞑想でも呼吸法でもいいので実践していくしかない。私が自分の呼吸の状態に敏感でいられるのは、これまで18年間に渡って呼吸法や瞑想を行なってきたからに過ぎません。

怒られることのないように自身の仕事のレベルアップが図れれば良いのですが、此の世の中はそれほど単純なものではなく

上司の根性がひねくれ曲がっていたりすると、優秀であればあるほどネチネチやられることもありますし、外国人上司との文化的摩擦によって、それまで良いとされてきた方法が通用しなくなることもあります。

ですから、自分自身がブレずにいつでもどんなときでも相手のネガティブな氣を受けずに冷静に対処していくには

”呼吸を整えるクセをつける”に限ります。

是非、実践してみてくださいね。


厳しい状況を乗り越えたり、状況に慣れたりしていけばそれはそれで耐久力の高い精神を身につけることは出来ますが、非常に非効率です。とにかく「呼吸」ですね。

 

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俺がやらなきゃ誰がやる思考の愚

こんにちは!平林孝之です。


昨日、ダ・ヴィンチニュースで紹介していた本が面白そうだったので購入して早速読んだら、非常に読みやすい内容でもありましたが、1時間半で読み終わってしまいました。


この本なのですが↓↓↓

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どんな内容かというと、日本の某大手家電メーカーの同社PCのカスタマーサポートで、コンプライアンス違反でしかない暴力団への対応、犯罪に絡んだ案件への対応、各国VIPや取引先VIPとその愛人などの社内外にも情報を漏らせない「特殊対応」をしていた人の告白本。

告白本とはいえ暴露本ではなく、この会社名や登場人物などは特定できないように名前以外の部分も変更して登場させている。


私もかつてPCヘルプデスクをしていた人間として、この人の対応にはアタマが下がる想いで本を読んでいました。あり得ないようなモンスターカスタマーへの対応の丁寧さもさることながら、技術的にどうにもならなさそうなことも何とか解決してしまうその技術者としての力量にもアタマが下がります。

という尊敬の念を抱いたのと同時に、「こんなひどい対応を一介の社員に任せっきりなんてオカシイ」とも思うし、世の中には私の想像を遥かに超えるような、物事の理知を全くわきまえることのないモンスターカスタマーが存在していることも想像できるようになり、世の中の闇は自分の思っている以上に深いと感じるようになりました。


さらには、私もPCヘルプデスク経験者なので、非常に共感できる内容が多かったのですが、この本の中で作者はこうも言っています。

私は、特殊対応に従事しているとき、心の殻を突き破ろうとする「なぜ俺がこんな仕事を担当しないといけないのか?」という疑問に対して、いつも単純な理由を呪文のように唱えて、気持ちを抑えつけていました。

「誰かがやらなければならない仕事だから」

この答えになっていない答えで済ませてしまい、いつしか深く考えることを止めてしまったという後悔が、私にはあるのです。
 

 

これに近い考え方は、かつて私自身も有していたことがあります。


北京のIT企業で社内唯一の日本人として働いていた頃は、「日本人は自分ひとりということは、周囲の同僚にとって【俺=日本】だから恥ずかしくないようにやろう」とか、政治問題や領土問題などが沸騰しているときは「いつ村八分になってもおかしくないことを覚悟しておこう」とか「ひどいクレームが発生したときも、最終的には自分が処理するしかない」とか

「俺がやらなきゃ誰がやる」

といった強い気持ちを持って日々の業務を行なっていたことがあります。

さらに、この本の作者はこうも述べています。

しかし、私が特殊対応の業務に就き、さまざまな経験を乗り越えて、やがて退職し、いま思うのはー理不尽なことには声を上げるべきだ」「もうダメだ、死ぬすかないなんてことはない、逃げ出せばいいんだ」ということです。


私は当時の業務でここまで精神的に追いつめられたことはなかったものの、やはり自分の換えの日本人が全く見つからなかったし、換わりを務められる中国人スタッフもいませんでした。そのため、「自分が辞めてしまった後はどうするのだろう?」ということを考えてしまうとなかなか辞めることも出来ませんでしたが、あるとき

「それはいる人たちで何とかすることで、自分が考えるべきことじゃないか」

と思い直し、そこから程なく新しい仕事が見つかって転職をすることになりました。



このように、時には「自分がやらなきゃ誰がやる!」と思い込んで自分の士気を上げることも大事かもしれませんが、「自分がやらなくても大丈夫」「逃げても大丈夫」と背負い込みすぎる自分を解放することも同じくらい大事です。

 

私みたいな個人企業の経営者は、私がいなかったら会社そのものが成り立たないものの、サラリーマンの仕事の場合は殆どが誰かが換わりを務められますし、サラリーマンの仕事の素晴らしいところはそうした”誰にでも換わりが務められる“ことだと思います。

やれる人が自分ひとりしかいない、これほどキツイことって実はなかなかありません。私も上記のように「俺がやらなきゃ誰がやる」と意気に感じて頑張り続けていくのは正直厳しい。

連載10年以上の漫画家とか、ずっと休まず笑っていいともに出演を続けていたタモリさんとか、かなりキツイと思いませんか?自分で想像してみるとまず続けられないことがわかりますよね。

ですからあんまり自分で抱え込まずに、どんどんリリースしていきましょう。手放して人に預けるようにしていきましょう。例え仕事を預けた人が30%程度くらいの出来しか再現できていなかったとしても、その任せるという行為によって任された人が育っていきます。

そのため、一通り手放し終わった頃に、新しい展開が生まれているはずです。

  

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克服志向を手放そう

こんにちは!平林孝之です。

日本人って基本的に逆境からの克服ストーリーが大好きですよね。

全てが順調でドラマ性の無いお話は好きではない。

大体途中に挫折しそうなことがたくさんあり、それでも頑張って頑張って…

最後は勝つ!みたいなお話。


僕も大好きです、そういうお話。そのせいなのか不明ですが、何か人一倍大変なことが多い気がします…

なので、多くにおいて圧倒的劣勢からの挽回を強いられることがこれまでの人生で多かった気がする。

大学受験
会社放浪記
在庫削減プロジェクト
ベンチャーでの仕事
中国語の勉強
中方中心の子育てなど

細かくは説明しないけど、全部圧倒的劣勢からの挽回ストーリーを持っているもの。


昨年、北京で人材育成に関する自分のコンサル会社を起業しましたが、これも実際はかなりの劣勢からのスタートで、普通は起業という選択はしない、という状況からスタートしてしまっています。

このようにここ20年以上、ほぼ超劣勢の状況ばかりで日々吐きそう。

そして、こうして上記のものは、全部そうした超劣勢を克服してきたものです。

一般的に克服経験があると自信になる、と思われていますよね。

でも、実際に克服してきてどうだったのか?というと…


だから何?


というくらいに何にも無い。

達成した瞬間に味わった感情に
歓喜」というものはなく

あったのは…

「一瞬ホッとした」だけ

他には

何もない。



何でこうなってしまうのか?というのをずっと後になった今頃知ることになりますが、結局のところ、心の奥底にずっとあったものは

「今の自分では全く話にならないから、ダメじゃなくなるまで頑張らなければならない」

という克服志向であり、自己否定の否定でもある二重否定であり、

「頑張らないと周囲は認めてくれない」という強い思い込み


でも、これを強く持ち続けている先に待っているものって

地獄のような人生です。


ホントに無限地獄ですよ、これは。


人間ってこなせばこなすほどステージが上がっていくものなので、あることを克服した次に用意されているのは、もっと難易度の高い問題。

だから、自分がさして好きでもないことでも、世間が要求するから頑張って克服しようと頑張っていると、際限なく地獄度が上がっていく。


世間ではコンプレックスをバネに頑張って克服することは”良いこと”だとされていますよね?

でも、コンプレックスをバネに頑張るのはせいぜいスタートダッシュをしたいときだけにするべきで、いつまでもコンプレックスをバネにしているべきではありません。

これは何故かというと、コンプレックスをバネに克服しきってしまうと、その後は過去に自分と同様のコンプレックスを抱えた人を見下すようになるからです。

人を見下す生き方に幸せなんてものは無いことを想像することはさほど難しくないと思います。


なんでコンプレックスをバネにしてきた努力が人を不幸にしてしまうのか?というと結局のところ、自己否定の上に成り立った努力が自分や周囲を幸せにすることはない、ということです。


では、どうすればこうした無限地獄から抜け出せるのか?というと

1. 周囲に認められるため"だけ"の努力は止めてみる

2. 楽しいと思えることだけを努力する

3. 純粋に興味が湧いたものだけを取り組む

4. 人の評価は脇に置いて、自分で自分を褒め続ける

こうしたことを心掛けるとだいぶ変わってくるはずです。


自分が楽しいと思えることを頑張っていると、目標を達成したときに

喜びと達成感

を同時に体験できるはずです。

 

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大胆な引っ越しで人生を変える

でこんにちは!平林孝之です。


長年さみしさの中に身を置いていたような人は、一回

大胆な引っ越しをしましょう!

さみしいということは、言い換えると人気がないということですよね?

人からの人気って、ビジネスに置き換えると

『自分に対するニーズ』

という表現もできます。


要するに、寂しいということは、自分を求める声がない、もしくは少ないということです。

即ち、自分にとっての市場がない、ということ。

ですから早い話


いつまでも自分の市場の無いところでグダグダ動いていても、考えていても仕方がないのかもしれません。

市場が無いところを何とか市場に合わせて自分を変えていくという手段もあるけど


それって楽しいですか?


全然楽しくない、何か歪んでいるようか気もするのであれば、他の場所に自分の市場を求めて行くのも一つの立派でかつ重要な人生戦略だと思います。


語学を学んで外国へ出てみることを推奨したいところですが、別に海外ではなく、日本国内の全く異なる生活文化のところへ移住するのも一つの手です。


東京から大阪へ
大阪から北海道へ
九州から沖縄へ

などなど

ハッキリ言って、大胆な引っ越しひとつしないで人生を変えようなんて少し甘いかも。

高知へ移住して「まだ東京で消耗しているの?」とか挑発的な言動を繰り返しているプロブロガーもいるじゃないですか?(笑)



でも、僕自身が中国という場所で生活していることもあり、個人的には海外進出を強烈に推しています。

日本人は一般的に
細かくて口うるさくて
自分がちゃんとしている分
相手にも同じことを求めるし期待するし
口にせずとも察することを求めるし
それが出来ないと無言で怒るし
無駄に労働時間長いし
退勤後無駄に飲みに行ってばっかりだし
発展していくための仕事は少なめで
衰退スピードを遅めるための仕事ばかり
利益率が低いから給料も安い


そんな印象があります。

こんな環境で生活していれば
セルフイメージはどうしたって下がる。


日本の常識は世界の非常識って言葉
聴いたことありませんか?

基本的に日本でうまく立ち回れる人は
世界ではうまくやれない人が多いはず

逆に日本でうまくやれない人は
他のどこかではうまくやれるかもしれない

どちらでもうまくやれる人というのは
神レベルのスーパー人材です。

日本でうまくいかないヤツが
世界でうまくいくわけがない
ということを主張する人も時折見掛けますが

僕は全然そうは思わない。



でも実際に現地に入っていこうとすると
やはり語学が壁になるものの。

英語でもいいのかもしれないけど
やはり現地語もやっておくべき。

現地語が出来る出来ないとでは
相手からの信頼度が全然違う。

それに外国人たちと
楽しく過ごしているうちに
日本人とも何となく前以上に
上手に付き合えるようにもなっているから不思議。


こうして改善されていった理由としては、日本で日本人とだけ付き合っていたときは、人付き合いそのものがイヤイヤでしかなかったのが、海外で人付き合いの楽しさを知ることで、人付き合いへの嫌悪感やコンプレックスが解消されていったのかもしれません。

それに、一箇所に固執し続けても結局何にもわかりませんが、一度外から眺めることで得られる視点はたくさんあり、それによってただただ嫌いだったのが、どうすればよく出来るかを考えられるようになる。


いつまでも自分に対するニーズの無い、自分の市場が無いところでウジウジやさぐれててもしょうがないです。

ね、そう思いません?

 

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一般論で正しいことが自分にも当てはまるとは限らない

こんにちは!平林孝之です。

 

最近は朝6時台に起きて、およそ1時間ほどジョギングなり筋トレなりで身体を動かしてから出勤している。
 
 
その上、行き帰りの通勤も基本的には片道40分の自転車乗り。
 
 
その甲斐あってかこの2ヶ月で体重4kg、体脂肪率3%減と、好きなもの食いながらも身体はまあまあ絞れているのだけど、朝それだけこなしてから出勤すると、仕事始めも当然少し遅くなる。
 
 
そして開始が遅くなる分、それだけ仕事上がりも遅くなるし、仕事の上がりが遅い方がやはり少しダルい。
 
 
にもかかわらず運動は朝にした方が良いのでは?と思いつつも、ここ数日様子を見ていたところ…
 
 
自分の場合は運動は仕事上がりの方がいいことも理解しはじめたので、職場には早めに行き、早めに上がってくるスタイルの方が合っているんだろうことも理解しはじめた。運動も夜の方が向いている。
 
 
一般的には朝に身体を動かした方がいいとは言われているものの、やはり個人差ってあります。
 
 
一般論はあくまで一般論でしかなく、それが自分にも当てはまるかどうかはやはり別問題。自分が一般論に当てはまらないからオカシイとは限りません。
 
 
というわけで、今日からは早めに上がって夜型運動、朝は早めに出勤というスタイルに切り替えます。

 

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欲求か依存かを見極めるには

こんにちは!平林孝之です。

 

昨晩、このようなエントリーをアップしたところ、コメントを頂いたので、本エントリーを以って私の考えを述べてみます。

blog.takayukihirarin.me

 

 <頂いたコメント>

こんにちは。私もよく直面する課題ですので興味深く拝読させて頂きました。
整えるために三大欲求を満たすとのことですが、好きか依存かの部分はコントロールが難しいと感じています。
本能的に満たされ快楽を感じると、更に強く欲するようになり、何処かできちんと自制する仕組みがないと欲求を満たされるだけで満足して、他へのやりがい(社会的に成し遂げたいこととか)への意欲まで削がれないかなぁと思いました。
ただ孤独を感じている状態であればまずは自分を労ることが優先なので、こういった欲求により意識するのがいいのだろうと理解しました。

 

僕の考えとして、好きか依存かの部分は多くは「コントロール」出来ないもののはずです。コントロールできるに越したことはありませんが、現実的にしばらくは難しいケースが多い。

タバコやお酒などは、その典型的なものです。

 

ですからまず、コントロールは当面の課題として意識を持ちながら、自分の欲求が純粋に

「是非やってみたいことなのか」
「心踊る欲求なのか」

もしくは

「やらなければならないものなのか」
「やらずにはいられないものなのか」
「やってみたものの、後になって後悔してしまうものなのか」

”見極める”必要があると思います。

コントロールできないまでも、当面はどちらなのかを知りながらやり過ごす。このどちらかを知り得ないうちは、今後どう自制していくのか?ということを考えるには至らないでしょう。

 

そして、もう1つ2つほど上の段階の思考レベルを意識する必要もあります。

それは”自分にとって理想の生き方は何か?”という視点です。

ですから、その欲求が”自分にとっての理想の生き方が欲しているものなのかどうか”ということを意識する必要もあるでしょうし

その欲求が自分にとっての理想の生き方(生き甲斐)への障害になりかねないのであれば、それに対してはある程度自制する仕組みを考える必要もあると思います。

ただし、依存を自制しても、我慢し続けるだけではいつか暴発してしまう可能性もあるので気をつけたいところです。



”依存”を発生させてしまうのは、ある未処理の感情を処理したいという欲求ですから、まずはその未処理の感情が何なのか?を知り、しっかり感じる必要があります。

そして、その感情を依存という行為に頼らず、味わいきって解放していくことでしか解消されていかないでしょうね。

味わうことに数年を要するものありますし、これはケースバイケースです。私自身も何年もかけて味わいきってきた感情がいくつもあります。

そのおかげで、20代の頃にかなり依存気味だった行為も、今は全くやらずに済むようにはなっています。

 

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