孤独から自由になるリーダーシップ

ひとりぼっちになりがちな人のためのココロとカラダのつくり方

うまくいっていない今にイラつく理由

こんにちは!平林孝之です。

信じる信じないはともかく

過去・現在・未来という全ての時間は”いま”という瞬間に内包されているって聞いたことありますか?

予知夢とか未来が見えるとか、未来が見えなくとも何となくイヤな予感がするとか。

こういうことって、全ての時間は”いま”存在しているから感じることが出来るのだとか。

生きている人間の大半が全ての時間はいま存在しているということがわからないのは、この世に生まれ出たときに、そうした記憶が消された状態になって生まれるかららしい。

こんなことが本当かどうかは、生きている間は神秘体験でもない限り知ることは出来ないのだけれど

もしそうだとすると、今がうまくいっていないと感じているとして、その状況に対して”何でイライラするのか”も、なんとなくわかるような気がする。

イライラするってことは、自分はホントはもっと素晴らしい存在であることを知っているんですよね。ただ、潜在意識でそう思えていないだけで。


ホントはうまくいくということを知っている。
でも今はまだうまく行っていない。
だから、その瞬間はいつなんだ?とイライラしている。


そもそもイライラするときってどんなときですか?
だいたい

『まだかまだか』と待っている時ですよね?


うまくいくことを心のもっと奥底が知っていなかったら、恐らくイラつくことはないはず。落胆して疲れながら日々過ごすことはあっても、イライラすることはないはず。

自分がそこまでに至る存在ではないことを知っているから。

だから、うまく行っていない状態に対してイライラ出来るということは

自分には望む姿を実現できる才能があると、無意識で知っていることを意味しているので、そのイライラする感覚を信じて

最初の一歩を踏み出すなり、足を止めずにまだまだ歩きつづけていれば

そのうち良いこと起こるかもしれませんね。

 

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           今日は目の前が燃えてるぜ…

 

この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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異文化理解の出発点とは?

こんにちは!平林孝之です。

もう北京に住み始めて8年目。来年の4月になれば、もう9年目に突入してしまいます。


僕の場合、配偶者がたまたま中国人になっていたというだけで、元々中国に凄く興味があったわけではないのですが、こちらに来てから築いている友人や同僚の中国人との関係は良好と言って良いでしょう。


ウチの妻は良くも悪くも”スーパー中国人”と言った感じの人間なので、いろいろ勉強させてもらっています(笑)おかげで周りの人たちがみんなとても優しく見える。

 

このような海外生活や外国人との交流というと、”異文化理解力”というものを問われますよね。

そして、我々日本人が一般的に異文化理解・異文化コミュニケーションという言葉から想像することは

 

コミュニケーションを円滑に行うためには、相手に対する敬意を忘れないことや、相手の考え方や立場からものをみるといった能力などが必要である[1]。異文化コミュニケーションを実践する中で、まったく自分と違う価値観、常識を持つ人と付き合い、観察し、真似をする(どうして、そういうふうにそのことをするのか、などを具体的に理解していく)ほど、自分の常識、価値観、文化が広くなっていく[9]。日本はその地理的条件から、かなり意識して異文化と触れ合わないと、いつまでも「自文化中心的段階」[10]から抜け出せない。異文化を学ぶ手段はさまざまあり得るが、「旅」は最も強力な手段である[11]。表現力や他者とのコミュニケーション能力は、日本人が苦手とすることの一つだが、「伝える」のではなく「伝え合う」という視点が大切である

(引用:Wikipedia 異文化コミュニケーション)

 

 このようなことでしょう。こうした実践に関しては、私も異論無いです。

 

ただし、日本人の多くの前提にある考え方は

『どんな相手ともわかりあえるはず』

ではないでしょうか?

 

私はこの考え方にはかなりの疑問を抱いている。例えば私の場合、義父母などと共同生活を送っていて、とてもではないが交わることは無いと感じる。

それもそのはず。

日本の高度成長期まっただ中に生まれて思春期時代はバブル経済で、有名企業で働く親の元、比較的裕福な家庭で育った私と

第二次大戦中に中国で生まれ、数十年に及ぶ共産主義における生活、共産党への入党、大躍進政策文化大革命などを経験し、意味不明な迷信じみたことを今でも信奉している人とが

価値観が交わる方がむしろオカシイ。


それともうひとつ。これも私の経験から

私は少しアスペルガー症の毛があります。それで通院などはしたことありませんが。 

アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

アスペルガー症候群 (幻冬舎新書 お 6-2)

 

 

まだ日本にいたときにこの本を読んだのがキッカケで、初めて自分にはその毛があることを知りました。内容の尽くが私のパーソナリティや言動と一致していることが多かったもので。ただし、診断テストなどをすると全く正常ではあります。

 

とはいえ、私自身、この本にはかなり救われました。

それまでは自分が人と交わるのが苦手なのは、自分の性格がひどく歪んでいるからなのか?と思っていましたし、性格矯正的なこともたくさん試みましたが、どれもうまくいかず、こんなことしないと世の中で生きていけないのなら

もう生きていなくていい、とすら思っていたほどに苦痛だったので。日本人はそれほどまでに多様性に不寛容で未成熟。本当にヒドイ。

でも、この本を読んだことによって、自分のこうした特徴は歪みではなくあくまで特性なので、別に直さなければならないようなものでもない、ということも理解することが出来たのです。

こうした特性に気付いて受け入れると、自分に対する見方が変わるだけでなく、相手に対する見方も変わります。


周りの人たちに対して、それまでの見方を一新してどのように変えたのか、というと

周りはみんな外国人。

自分以外はみんな外国人

というものでした。家族も含めてみんな異邦人で異文化人。

 
こういう風に見ることによって変わったことは

相手に対する甘えが無くなったんです。

自分と相手は同一の文化を有しているという風に考えると、自然と相手に対する甘えが生まれてしまいます。

相手も自分の考えを理解してくれるはず、とか
相手は言わなくても私が欲していることを察するはず、とか

でも、そうした期待がかなり無くなりました。

人が怒るときというのは、何かしらの期待を裏切られたときですから、相手に対する期待が無くなったということで、周囲に対して腹をたてることや、諍いそのものがかなり無くなりました。

さらには、多くの人はこうした場面ではこのようなことを好む、とか、多くの人はこうした場面ではこういうことを嫌う、とか

まるで外国人に対して思い遣るように、日本人に対しても考えるようになりました。相手も自分と同じはず、って思っているとこうした思考にはなりません。

 

これが、僕の中の人付き合いに対するブレイクスルー体験となっています。



こうした経験から導き出された結論は

わかり合えないことから始める

です。


日本人に最も多い、わかり合えるはず、という前提での異文化交流は基本的には減点主義です。わかり合えている状態を100点とし、そこまでに対して何が足りないのかと考えるやり方。

それに対して、わかり合えないことから始める異文化交流は加点主義です。0、もしくは1から始める。そもそも最初からそんなに相手に期待していないので、後はひたすら加算されていきます。


「わかり合えるはず」という前提で始める人は大抵、挫折するとそこで諦めるはず。でも「わかり合えない」から始めるなら諦める必要がない。そして、一旦お休みしたとしても、また気が向いたときに再び始められる。


ただ、別にどっちでも良いと思います。自分にフィットする方の考えを選択してそれに準じていけばいい。

 

わかり合えるはず、の交流が前時代的だとするなら、わかり合えないから始める交流というのは、新時代的なんだと思います。


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他の人には色とりどりだろうけど
オレには世界が黄色にしか見えないのだ…

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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物質依存と感情の関係

こんにちは!平林孝之です。

本日は「依存と感情の関係について」ということで、自分自身の喫煙習慣と禁煙についてお話します。

私は16歳の頃にタバコを吸い始めてから37歳で北京に移り住むまで、基本的にヘビースモーカーでした。

その21年間で止めていた時期もあります。23歳の頃に重度の精神疾患躁うつ病などで通院していた半年間と、合氣道を学び始めて間もない3ヶ月間ほどの期間。後は娘が生まれる半年前~娘が1歳になるまでの期間。とは言いながらも合計でも3年くらいでしかないですけどね。

北京に来る前もヘビースモーカーでしたが、来る少し前から睡眠障害を何とかするために禁煙し始めたのをキッカケに、その後も約5年間ほど基本的に吸わずにいました。

そしてこの5年間では、酒の席ではタバコを吸ったとしても、その後もまたヘビースモーカーに戻ることはなく、完全にニコチン依存をコントロール化においていました。

それがここ2年半はまたヘビースモーカーに逆戻り。

それまでコントロール出来ていたものが、なぜ急にまたコントロール出来ないものになってしまったのでしょう?


その答えを自分は明確に知っています。それは

さみしさです。


上記でも記していますが、娘が誕生する半年前から1歳の誕生日を迎えるまでと、北京に来てからの5年間はニコチン依存では無かったんです。そしてこの期間というのは

娘の近くにいて幸せを感じていた時期でもあります。

娘の近くにいること自体は良かったのですが、おまけで余計なモノ(中方の義父母)までくっついてきている状況。その状況に対して急に「オレは一体こんなところで何をやっているんだろう?何でこんな不本意な状況に甘んじている必要があるんだ?」という疑問が湧いてくるようになり、その他矢継ぎ早に湧いてきた想いも手伝って、そのまま家を出ることに。

自分にとってそもそもタバコというものは

”世の中に対する「やってられない感」の象徴”

ですから、欠乏感が露わになってくるとついつい吸いたくなるもの。

16歳でタバコを始めたときもこの「やってられない感」が強くて常習化してしまいましたが、再び襲ってきたこの強烈な「やってられない感」のために、それまでの5年間で身についていたコントロールも完全に失われていました。

それからの2年半は再びスモーカーに戻ってしまい、公私ともに”やってられんなぁ~”という状況ではあったものの、ある禁煙セラピー本を読んでから考えが一変します。それがこの下の本です。 

頑張らずにスッパリやめられる禁煙

頑張らずにスッパリやめられる禁煙

 

 

これまでストレス解消のつもりで喫煙していたものの、この本を1/3ほど読み進めただけで

「タバコを吸ったところでストレス解消にはならない。禁断症状を緩和することしかできない」

ということが肚に落ちたのです。それからもう2ヶ月以上経過していますが、1本も吸わずに過ごしています。


そしてこの2ヶ月ではそれまでとどう変わったのか?というと、大きくは2点。

  1. 身体が軽くなったので運動する機会が増えた。結果、日々好きなものを食べているにもかかわらず、体重4kg減、体脂肪率3%

  2. 活動が増えた。喫煙の時間や場所を探す時間に費やしていた時間を他のことに費やせるようになった。

 
当たり前の話ですが、日常生活は非常に改善されています。健康的だし気分もいい。


ただ、私がタバコに関して健康問題以上に問題視しているのは吸う動機です。

楽しくて吸うのではなく、私のようにさみしさを紛らわす依存的なタバコというのは、自分のことを傷つけます。

そもそも依存(中毒)というのはタバコに限らず、アルコールでもドラッグでも買い物でもギャンブルでも仕事でも

全てはさみしさに端を発している
要は誰かと繋がっていたいんですね。
もしくは誰かに自分をわかってほしい。
依存の対象はその代替物でしかない。

 

この事実は実験でも証明されていることです。

spotlight-media.jp



だから、ただやめるだけではダメ。
その根本にある感情をクリアにしないと
どんなに自分を傷つけても繰り返す羽目になりがち。

中毒というのは身体の物質に対する依存以上に
感情的に生まれてしまう側面も極めて大きい。

そのため、本来取るべきスタンスは、さみしさを嗜好物によって紛らわすのではなく

さみしさを味わうこと
味わい切ること

それによってかなり痛いこともありますが、そうしないといつまで経っても感情が解消されていかないため、その後も常に潜在的なさみしさが付き纏います。

この潜在的なさみしさが解消されない限り、仮に誰かと繋がれたとしても、今度はその相手に対して依存するようになり、果ては相手が疲れてしまい、分かれることになりがち。そしてまた他の依存先を探しはじめる。

こうした悪循環を断つためには、今、無意識に依存してしまっている対象を断った上で感情を味わう必要がある。


ただ・・・

1回や5回程度の禁煙でうまくいくとは思わない方がいいですよ。私も軽く30回くらいはトライしていますから。いや、、、50回くらい?

 

うーん、忘れた。。。


たった数回やってうまくいかなかったからって「自分は意志の弱いダメ人間」と思うのはハッキリ言って


10年早いんだよ、ボケっ!って感じです。


で、こういうことを言うと「依存は良くない」という解釈になるはずですが、それも実は違います。

「お願い」「助けて」と言える相手がいることは素晴らしいことですし、リーダーシップの必須条件でもあります。


※薬物依存は「人に依存できない病」とは専門家も断言しています。

www.buzzfeed.com



まずいのは、自分でコントロールできないような依存状態。それは言い換えると

”良好な人間関係に必要な間合いを失っている状態”

だから、問題アリなんです。間合いを失っている相手と付き合いを持ち続けるのはかなりシンドイ。従って、いずれウザがられます。


というわけで、中毒はただやめれば良いというものではないし、やめられたとしてもその奥にある感情を何とかクリアしない限り、対象が他のものに変わってしまうだけ、ということは知っておいてください。

 

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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ポジティブ・ネガティブの相対的・絶対的

こんにちは、平林孝之です。

今日は午前中に仕事があったので、終わってから一本映画を観に行っていました。「ジャスティスリーグ」ですね。日本はもう封切りしたのでしょうか?

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マーベルコミック原作の実写化映画に対抗して、こちらはDCコミック原作の実写化映画。そして、マーベルのアベンジャーズに対して、DCのジャスティスリーグ

そろそろ「アベンジャーズ3」の公開も近づいているので楽しみ過ぎて仕方ありません…

いずれは「アベンジャーズvsジャスティスリーグ」という映画まで作ってしまいそうな勢いですが、どっちのタイトルが先か?アベンジャーズジャスティスリーグか?で揉めそうです。そうなったら、いっそジャンケンで決めてしまった方が良いことのように思います。


と、この映画を見終わった後、ちょっと感じることがあったのでメモのような意識でこのエントリーを書いています。

 

ポジティブな性格とか、ネガティブな性格とか良く言います。
でもそれって本当なのでしょうか?
その評価は本当?


ポジティブは+(プラス)で、ネガティブは-(マイナス)なので、どこかに0(ゼロ)という基準があるはずですが、こと性格に関しては非常に抽象的過ぎて、明確なゼロのような判断基準が存在しません。

ですから、もしあなたが自分のことをネガティブな性格をしていると感じられて、出来ればポジティブになりたいと願っているのなら、一体誰と比較して、何と比較して自分自身はネガティブだと感じているのでしょうか?

クラスや職場のリーダー的な誰々さんと比べてですか?

男からモテまくりで華のあるA子さんと比べてですか?

または

何も考えていなかったかつての明るい自分と比べて?


恐らく、今の自分のことをネガティブだと感じている人の大多数は、こうして誰か他の人や、過去の自分と比べて、今の自分はネガティブだという評価をしているはず。

でも、その評価ってホントなのかな?ってふと思ったんですよね。



何でこんなことを急に思いついたのか、というと、今日観ていた映画は、極めて単純なエンターテインメント性が強いSFアクション映画です。でも、私はこういう映画を見るのが大好き。

かつて映画DVDなどのバイヤーもしていて、恐らく累計2000本くらいの映画は観てきているであろう私。で、たくさん観てきたからといって、いわゆる芸術性の高い映画が好きになったり、複雑で考えさせられる映画が好きになったかと訊かれても、やはり相変わらずこういう娯楽性の強い映画の方が大好き。ノーテンキ映画バンザイ!です。

(ちなみに過去観てきた映画で一番好きなのは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズ。あれはノーテンキではなかったけど、あの壮大さが好き)


ノーテンキが好きってことは、基本的にバカで単純なんです。そして元々は凄く明るい人間なんです。

そのせいか、これまで観てきた映画の大半は好評価(笑)。金返せと思うような映画は皆無。どんなク◯映画という評価の作品でも、大体「まぁこれはこれでええんちゃう?」と流してしまうような人間。

にもかかわらず思春期から今に至るまで、相当な紆余曲折を経てきたせいか、多少難しくモノを考えてしまうようになり、自分のことを比較的ネガティブなひねくれ者だと思い込んでいるフシがあったけど

自分の本質はもっと明るい人間なんだよね、ということも改めて思い出したのです。相対的にみたらどうなのかはよくわからないけど、自分は絶対的にポジティブな人間であることを想い出した。


何でこんなにも暗い方向に流れてしまったんだろう?ということを思い出してみると、周りがあらゆるものを妙に難しく語るのがカッコよく見えていたのでしょう。

それと、ハッキリ覚えていますが16歳の春からやや影のある方向に流れていきました。当時、クラス全体で3ヶ月近いアメリカ集団研修があるという変わった高校に通っていたんですね。

3ヶ月もの間、未熟な高校1年生が集団生活をするとイヤでも色々起こります。そのときに人間関係のイヤなところを体験してしまったせいで、「人って随分くだらないことで争ってしまう」と感じて少し嫌気が指してしまいました。

中学生のときにも軽くイジメに遭っていた時期もあったので、積もり積もって軽くプッツンしてしまったんでしょう。

あとは当時、尾崎豊の歌にかなり傾倒していたのも大きかった。声質が少し似ているということもあって、朝から晩まで聴いていたし歌い尽くしていたので。ずっと歌い続けていると、仮にホントはそうは思っていなかったとしても、その言霊に引きずられていくものです。


しかし、昔と比べて暗くなったとか、人と比べて暗いとか、本当はそんなことはどうでも良くて、「自分の本質はどっちなんだろう?」と時折顔を出すヒントを元に少しずつ思い出していけばいい。

でもこういうことを言うと必ず出てくるのが、「そうは言っても昔には戻れない」という人。

戻れないのではなく、単に戻りたくないだけでしょ。だって居心地が良いんだもんね。

人間って不思議な生き物で、どんなに自分にとって喜ばしくない環境でも、そこに居続けるのに慣れてしまうと変わりたくなくなる生き物。

だからいつまでもネガティブな自分から抜け出せないって勘違いをしてしまう。

でもそれは自分自身で”相対的にネガティブ”だと勝手に感じているだけで、本来の自分がネガティブ、というのとは全く違うんだ、ということを少し意識してもらいたい。


その上で、先ほども言った通り、もしあなたが自分のことをネガティブな性格をしていると感じられて、出来ればポジティブになりたいと願っているのなら、一体誰と比較して、何と比較して自分自身はネガティブだと感じているのでしょうか?

友だちや職場のリーダー的なA雄さんと比べてですか?

男からモテまくりで華のあるB子さんと比べてですか?

何も考えていなかったかつての明るい自分と比べて?

というのを少し考えてもらって、今からどうありたいのか、を考えてみてください。

そして、時間はかかっても構わないので

相対的ネガティブから
絶対的ポジティブな自分を取り戻してください。

基本的にはネガティブなのに
無理してポジティブだった人も
自分を取り戻してください。

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 エグゼクティブコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。発達障害双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・心身統一合氣道初段

 

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人に叱られても影響を少なくするために

こんにちは!平林孝之です。

会社で上司などに怒られることはよくありますよね。私は特に営業職をしているときによく詰められていました。

活動量が少ないとか
数字がいっていないとか
今日は何やって過ごしていたのか?とか

営業の仕事以外で上司に叱られた経験というのは皆無なのですが、営業やっていたときだけは結構叱られていました。

他にも私には経験が無いものの

企画書の出来が悪いとか
提案の詰めが甘いとか
こんな簡単なことも出来ないのか?とか
この給料泥棒!とか


色々な理由つけられて上司に怒られますよね。特に日本の会社の上司は怒ります。7年前から北京にある外資企業で2社ほど働いた経験がありますが、日本にいた頃と違って上司に叱られた記憶というものはほぼありません。

こうして20年以上も社会を経験してきて感じるのは、叱られようが叱られずにいようが、パフォーマンスにはさほど影響しない、ということです。

 

日本人マネージャーが部下を叱るというのは完全に労働文化のひとつと化しているようにも思えるので、叱られる立場の身になって、この乗り切り方についてアドバイスしてみようと思います。

これまでよく語られてきた、叱られたときの対処法って色々ありますよね。

  • 上司を「ここでしか威張れない可哀想なヤツ」と思ってやり過ごす
  • 聴いているフリをする
  • ひたすら我慢してやり過ごす
  • もっと前向きに「指導してくれている」と解釈する
  • 五感を使って悪魔のイメージから可愛いイメージに変える

などなど


私はこれ全部試したことがあるんですけど、効果が今ひとつなんですね。こういう方法では怒られた恨みは全く晴れない。最後にある、五感を使って叱ってくる相手のイメージを変えるというNLP方式は比較的効果が高いように思いますが、もっと良い方法があるのではないか、とずっと想っていましたので、少し考えてみました。


叱られることの最大のデメリットは、叱られた側が萎縮してしまうことです。

萎縮するというのは、叱られること自体をとてもネガティブに捉えてしまうことによって発生してしまう心の現象。心の現象というのは、どんなものであろうと身体を通して現れます。

で、萎縮してしまうと身体はどうなってしまうのか?というと

”呼吸が浅くなったり、止まったりしてしまう”のですね。

ですから、叱られるときに冷静に対処して萎縮せずに乗り切るには、叱られている最中に呼吸を深くするのが最も効果が高く、イメージだとかなんとか小難しいことをせずに済みます。


呼吸が浅くなったり止まったりしてしまうと、相手の攻撃の気を非常に受けやすくなってしまいます。故に物凄くネガティブな精神状態になってしまうのです。

従って、相手に叱られているときでも正常な精神状態、比較的ニュートラルな精神状態を維持するには、ずっと深めの呼吸を続けていくのが一番です。

これは何も別に特別な呼吸法を学ぶ必要はなく、自分の呼吸の浅さに気付いて、深く息をするよう心掛けるだけです。

ただし、人間は普通に暮らしていて自分の今の呼吸が浅いのか深いのか、ということに気付くことが出来ません。

こうしたことに気付けるようになるには、毎日5分~10分でも構わないので静かにじっと目をつむって瞑想でも呼吸法でもいいので実践していくしかない。私が自分の呼吸の状態に敏感でいられるのは、これまで18年間に渡って呼吸法や瞑想を行なってきたからに過ぎません。

怒られることのないように自身の仕事のレベルアップが図れれば良いのですが、此の世の中はそれほど単純なものではなく

上司の根性がひねくれ曲がっていたりすると、優秀であればあるほどネチネチやられることもありますし、外国人上司との文化的摩擦によって、それまで良いとされてきた方法が通用しなくなることもあります。

ですから、自分自身がブレずにいつでもどんなときでも相手のネガティブな氣を受けずに冷静に対処していくには

”呼吸を整えるクセをつける”に限ります。

是非、実践してみてくださいね。


厳しい状況を乗り越えたり、状況に慣れたりしていけばそれはそれで耐久力の高い精神を身につけることは出来ますが、非常に非効率です。とにかく「呼吸」ですね。

 

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俺がやらなきゃ誰がやる思考

こんにちは!平林孝之です。


昨日、ダ・ヴィンチニュースで紹介していた本が面白そうだったので購入して早速読んだら、非常に読みやすい内容でもありましたが、1時間半で読み終わってしまいました。


この本なのですが↓↓↓

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どんな内容かというと、日本の某大手家電メーカーの同社PCのカスタマーサポートで、コンプライアンス違反でしかない暴力団への対応、犯罪に絡んだ案件への対応、各国VIPや取引先VIPとその愛人などの社内外にも情報を漏らせない「特殊対応」をしていた人の告白本。

告白本とはいえ暴露本ではなく、この会社名や登場人物などは特定できないように名前以外の部分も変更して登場させている。


私もかつてPCヘルプデスクをしていた人間として、この人の対応にはアタマが下がる想いで本を読んでいました。あり得ないようなモンスターカスタマーへの対応の丁寧さもさることながら、技術的にどうにもならなさそうなことも何とか解決してしまうその技術者としての力量にもアタマが下がります。

という尊敬の念を抱いたのと同時に、「こんなひどい対応を一介の社員に任せっきりなんてオカシイ」とも思うし、世の中には私の想像を遥かに超えるような、物事の理知を全くわきまえることのないモンスターカスタマーが存在していることも想像できるようになり、世の中の闇は自分の思っている以上に深いと感じるようになりました。


さらには、私もPCヘルプデスク経験者なので、非常に共感できる内容が多かったのですが、この本の中で作者はこうも言っています。

私は、特殊対応に従事しているとき、心の殻を突き破ろうとする「なぜ俺がこんな仕事を担当しないといけないのか?」という疑問に対して、いつも単純な理由を呪文のように唱えて、気持ちを抑えつけていました。

「誰かがやらなければならない仕事だから」

この答えになっていない答えで済ませてしまい、いつしか深く考えることを止めてしまったという後悔が、私にはあるのです。
 

 

これに近い考え方は、かつて私自身も有していたことがあります。


北京のIT企業で社内唯一の日本人として働いていた頃は、「日本人は自分ひとりということは、周囲の同僚にとって【俺=日本】だから恥ずかしくないようにやろう」とか、政治問題や領土問題などが沸騰しているときは「いつ村八分になってもおかしくないことを覚悟しておこう」とか「ひどいクレームが発生したときも、最終的には自分が処理するしかない」とか

「俺がやらなきゃ誰がやる」

といった強い気持ちを持って日々の業務を行なっていたことがあります。

さらに、この本の作者はこうも述べています。

しかし、私が特殊対応の業務に就き、さまざまな経験を乗り越えて、やがて退職し、いま思うのはー理不尽なことには声を上げるべきだ」「もうダメだ、死ぬすかないなんてことはない、逃げ出せばいいんだ」ということです。


私は当時の業務でここまで精神的に追いつめられたことはなかったものの、やはり自分の換えの日本人が全く見つからなかったし、換わりを務められる中国人スタッフもいませんでした。そのため、「自分が辞めてしまった後はどうするのだろう?」ということを考えてしまうとなかなか辞めることも出来ませんでしたが、あるとき

「それはいる人たちで何とかすることで、自分が考えるべきことじゃないか」

と思い直し、そこから程なく新しい仕事が見つかって転職をすることになりました。



このように、時には「自分がやらなきゃ誰がやる!」と思い込んで自分の士気を上げることも大事かもしれませんが、「自分がやらなくても大丈夫」「逃げても大丈夫」と背負い込みすぎる自分を解放することも同じくらい大事です。

 

私みたいな個人企業の経営者は、私がいなかったら会社そのものが成り立たないものの、サラリーマンの仕事の場合は殆どが誰かが換わりを務められますし、サラリーマンの仕事の素晴らしいところはそうした”誰にでも換わりが務められる“ことだと思います。

やれる人が自分ひとりしかいない、これほどキツイことって実はなかなかありません。私も上記のように「俺がやらなきゃ誰がやる」と意気に感じて頑張り続けていくのは正直厳しい。

連載10年以上の漫画家とか、ずっと休まず笑っていいともに出演を続けていたタモリさんとか、かなりキツイと思いませんか?自分で想像してみるとまず続けられないことがわかりますよね。

ですからあんまり自分で抱え込まずに、どんどんリリースしていきましょう。手放して人に預けるようにしていきましょう。例え仕事を預けた人が30%程度くらいの出来しか再現できていなかったとしても、その任せるという行為によって任された人が育っていきます。

そのため、一通り手放し終わった頃に、新しい展開が生まれているはずです。

  

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克服志向を手放そう

こんにちは!平林孝之です。

日本人って基本的に逆境からの克服ストーリーが大好きですよね。

全てが順調でドラマ性の無いお話は好きではない。

大体途中に挫折しそうなことがたくさんあり、それでも頑張って頑張って…

最後は勝つ!みたいなお話。


僕も大好きです、そういうお話。そのせいなのか不明ですが、何か人一倍大変なことが多い気がします…

なので、多くにおいて圧倒的劣勢からの挽回を強いられることがこれまでの人生で多かった気がする。

大学受験
会社放浪記
在庫削減プロジェクト
ベンチャーでの仕事
中国語の勉強
中方中心の子育てなど

細かくは説明しないけど、全部圧倒的劣勢からの挽回ストーリーを持っているもの。


昨年、北京で人材育成に関する自分のコンサル会社を起業しましたが、これも実際はかなりの劣勢からのスタートで、普通は起業という選択はしない、という状況からスタートしてしまっています。

このようにここ20年以上、ほぼ超劣勢の状況ばかりで日々吐きそう。

そして、こうして上記のものは、全部そうした超劣勢を克服してきたものです。

一般的に克服経験があると自信になる、と思われていますよね。

でも、実際に克服してきてどうだったのか?というと…


だから何?


というくらいに何にも無い。

達成した瞬間に味わった感情に
歓喜」というものはなく

あったのは…

「一瞬ホッとした」だけ

他には

何もない。



何でこうなってしまうのか?というのをずっと後になった今頃知ることになりますが、結局のところ、心の奥底にずっとあったものは

「今の自分では全く話にならないから、ダメじゃなくなるまで頑張らなければならない」

という克服志向であり、自己否定の否定でもある二重否定であり、

「頑張らないと周囲は認めてくれない」という強い思い込み


でも、これを強く持ち続けている先に待っているものって

地獄のような人生です。


ホントに無限地獄ですよ、これは。


人間ってこなせばこなすほどステージが上がっていくものなので、あることを克服した次に用意されているのは、もっと難易度の高い問題。

だから、自分がさして好きでもないことでも、世間が要求するから頑張って克服しようと頑張っていると、際限なく地獄度が上がっていく。


世間ではコンプレックスをバネに頑張って克服することは”良いこと”だとされていますよね?

でも、コンプレックスをバネに頑張るのはせいぜいスタートダッシュをしたいときだけにするべきで、いつまでもコンプレックスをバネにしているべきではありません。

これは何故かというと、コンプレックスをバネに克服しきってしまうと、その後は過去に自分と同様のコンプレックスを抱えた人を見下すようになるからです。

人を見下す生き方に幸せなんてものは無いことを想像することはさほど難しくないと思います。


なんでコンプレックスをバネにしてきた努力が人を不幸にしてしまうのか?というと結局のところ、自己否定の上に成り立った努力が自分や周囲を幸せにすることはない、ということです。


では、どうすればこうした無限地獄から抜け出せるのか?というと

1. 周囲に認められるため"だけ"の努力は止めてみる

2. 楽しいと思えることだけを努力する

3. 純粋に興味が湧いたものだけを取り組む

4. 人の評価は脇に置いて、自分で自分を褒め続ける

こうしたことを心掛けるとだいぶ変わってくるはずです。


自分が楽しいと思えることを頑張っていると、目標を達成したときに

喜びと達成感

を同時に体験できるはずです。

 

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