孤独を超えるリーダーシップとメンタルケア

人や会社には相談できない悩みを抱えた人のための解決方法

「超えられない試練は与えられない」は本当か?

昨日、ツイッターのTLに『「神様は超えられない試練は与えない」のいうのが嫌い」というつぶやきが流れてきたので、そのことについて書いてみようと思った。

 

誰のつぶやきかも忘れてしまい、リツイートもふぁぼりもしなかったので、ググってみたら、同じようにこの言葉が嫌いな人って結構いるらしい。

 

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この言葉が本当かウソか、と論じる人もいるけど、僕自身が感じている結論は


『本当でもあるし、ウソでもある』

 

では何で「ウソでもある」と言えるかというと
目の前にある課題・問題を全て解決しながら
それまでの人生を歩んできた人なんて
まず、いないはずだから。


負けた経験の無い人なんていないはずだし
克服したいと思いつつ出来ない課題だって
多々経験してきたでしょう。

 

では逆に、
なんで「本当でもある」と言えるのかというと

人にとっての課題・試練というのは
生きている中の一部分だけを切り取って
考えてみたところで
結論は出せないから。

当時超えられなかった課題が
時間が経過することによって
思いもよらぬ福をもたらすことも
かなりある。

 

 以前読んだこの本にも書いてあった例を挙げてみると…

もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

もっと あの世に聞いた、この世の仕組み

 

 

例えば、
ある男性が車に轢かれて入院をしてしまいました。(試練)

  ↓

でも、入院先で世話してくれた看護師がメチャ好みでした(成功)

  ↓

そのまま口説き落として付き合って結婚することになった(成功)

  ↓

でもいざ結婚してみたら隠れ借金が発覚し大変な経済苦へ(試練)


この先はどう展開していくのか
忘れてしまったけど

この後、この苦難を乗り切って
二人の絆がより強くなってるかもしれないし
苦し紛れに始めた事業が当たって
大成功しているかもしれない。


逆に、そのまま離婚してしまい
失意の日々を過ごすように
なっているかもしれないけど

その後、またホントに
素敵なパートナーが見つかっているかもしれないし

失意のまま
バッドエンドを迎えているかもしれない。

 

今、目の前にある苦難を
乗り越えられなかったことを幸いに
後により大きな福を得られるかもしれないし


逆に、
ひたすら困難を乗り切ってきたことで
あるとき、ふっと燃え尽きて
そのままバッドエンドを迎えることもある。

 

このように、
過去の失敗も成功も
後々にどのように作用するのかは
誰にもわからない。


超えられなかった試練が
その後、どのように
その人に作用するのかがわかるのは
もしかしたらすぐ後かもしれないし
数年後、数十年後なのかもしれない。



僕自身の経験を語ると


中国人妻が勝手に子どもを連れて帰国し
2年半もの間、離れて暮らしていた
(これは大変な試練)

 ↓

でも、この間
家族に気を取られず
ヒット商品の輩出に携わり
キャリア最大の成功体験を経験
(苦労も多かったけど非常に良い体験)

 ↓

いざ中国に来てみたら
義父母と同居させられて
嫌気がさして家を出る
(これも大変な試練)

 ↓
家族の煩わしさから開放され
 中国語の勉強に専念
(非常に良い体験)

 ↓

転職で年収倍増。市場価値も
日本にいた頃より倍増した。
(非常に良い体験)


もし妻と娘を呼び戻せていたら 
僕の市場価値は上がっていなかったかもしれない。

 

こうしたことからもわかるように
試練・課題そのものが解決せずとも
その裏には大きなメリットもたくさんある。

あとは、そのメリットに
しっかり目を向けて活かせるかどうか。

 

このように、一言で「試練」といっても
ずっと後の成功に繋がっている可能性も高いし
解決しないことで潜んでいるメリットを
享受できる可能性だってある。

 

故に、ひとつの試練・課題だけを取り上げて

"超えられない試練はない”から頑張れ!

というのは、少し暴論のようにも思える。


実際には、超えられない試練というのも
たくさんある。

 

とはいいながら、どんな試練・課題に
直面していたとしても

 

「もし、この課題が解決可能なものだとしたら、自分にはどんな手段があって、それをどう実行するのか?」


という視点だけは、どんな試練に直面したとしても、常に持っていた方がよいかもしれない。


諦めるのは
あらゆる手段が無くなってからでも
遅くないから。

 

 

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<記事を書いた人>

平林孝之 メンタルコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。

 

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それ、ホントに、好きですか?

自分がそれまで「これは好きだ」と思ってきたことが、実は間違いだった…ということに気付いてしまった一件があった。

僕は大学を卒業する年から、ほぼ毎年海外旅行をどこかのタイミングでしていた。お金をあまりかけない、いわゆるバックパッカー旅行。

 

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最後にバックパッカーとして旅行したのは、2000年の夏にアイルランドに行ったのが最後。その後は、日本と中国の往復。その間一度、バックパッカーではなく家族でアメリカに旅行したことがあるだけ。

だから、かれこれ18年ほどそうした旅から遠ざかってしまっていることになる。行けなくなった理由としては、育児や車のローン、自己研鑚にお金を使っていていたため、旅行に回せるお金が無かったからだ。しかし、その気になれば、どこかで行けたはず。

でも、行かなかった。

SNSが流行り始めて、友だちのタイムラインには、海外旅行の楽しそうな写真がいっぱいアップされていて、それらを見る度に、「いいなぁ」とうらやましく思っていた。

かつては、毎年バックパッカーとして海外を見てきた身。だから、自分も同じように旅行したいなぁ…とずっと思っていた。

そんな折、知人がFacebookでの投稿で

『使えるお金が増えて、何か変わったことはありますか?とよく聞かれるのだけど、特に何も変わっていない。今でもやっていることは、お金に困っていたときからやっている。』

という内容を書き込んでいるのを目にして、真っ先に浮かんだのが「自分にとっての海外旅行」だった。

だから、自分なりに、自分にとっての海外旅行というものを改めて考えなおしてみることにした。「好きなはずの海外旅行を、なぜしなくなったのか?」と

考えなおした結果を前もって言ってしまうと、

「僕は海外旅行が決して好きなわけではない」

という結論が出た。ただし、”好きではない”のは条件付きだけど


何で好きではないのか?理由は実はたくさんある。

  • そもそも飛行機が苦手
  • 枕変わると眠りが浅くなり疲れやすい
  • 時差に適応するのに少し時間がかかる
  • 短時間・短期間であちこち廻るのが好きじゃない
  • 帰国後の疲労回復に2日ほど必要


ようするに、海外旅行にいっても、具合悪くなって帰ってくるだけだった。リフレッシュするどころの話ではない。だから、北京に来てからというもの、僕はさらに日本と北京の往復しかしなくなった。

でも、好きじゃないのは1週間~10日前後での短期間での旅行であって、3週間以上かけられて、1~2都市しか廻らないような忙しくない滞在の場合はその限りではなく、やはり好きなはず。というのも、いる間に体調を整えて動くことが出来るから。

今のところ、バックパッカーとしての最後の旅行となっているアイルランド紀行の、最後6日間のダブリンでの滞在も、ホテルではなく大学の寮に泊まっていたこともあり、朝は学食で食事、その後はジムで汗をかき、昼も学食で食事した後は適当に目的もなく街をぶらぶらしているか、カフェで読書、夜は舞台を観に行くか、パブでビール飲んでいた。

これはもはや旅行ではなく、生活。その前のあちこち観光地めぐりをしていたときよりも、半分生活化していたこのときの方が圧倒的に楽しかった。僕はこのように、海外で生活するのは好きだけど、短期間での旅行はそれほど好きではない人間なのだ。(この話を人にすると、「何しに行ったんだ、お前は」と言われるんだけど)

逆に、旅行は好きだけど住むのはイヤ、っていう人もかなり多いはず。

 

では、なぜ海外旅行は好きだという自己暗示を長年かけていたのか?

  • ファッションとして捉えていた
  • 日常からの現実逃避
  • 周囲から良い意味で面白いヤツだと思ってもらえる

こんなところだろうか。


これは僕自身の一例だけど、ホントは好きではないにもかかわらず、「これが好き」だという自己暗示にかかっている人は多い。


その代表的な例は

 『みんな褒めてくれるから好き』というもの。

ホントは好きではないのだけど、得意なことで、承認欲求を満たしてくれるから好きというもの。ホントに好きなもの・ことって承認されなくても好きだから。得意だけど好きではないことを続けていると、何より疲れる。好きでもないことなのに人からは物凄く頼られるし。そのまま”第一人者”などになろうものなら、人生に失望してしまいがち。本来の自分と、周囲からの期待のギャップに苦しむ。


あとは、

 『周りが好きだから、自分も好きということにしておく』というもの。

ファッション、映画、ドラマ、音楽など、流行りモノは割りとこうなってしまう傾向が強い。好き嫌いとかではなく、社会的に重要視されている価値観なんかを意識的に重要視してしまっている場合も同じ。自分でわかっててやっているなら健全だけど、暗示が強くかかってしまっていると、それが解けるのに少し時間がかかってしまうかもしれない。

 

他には、

 『現実逃避できる』もの

お酒・タバコなどの嗜好物がその代表的な例だけど、嗜好物に限らず、やりたいからやるのではなく、やらないと不安だからやってしまうこと。勉強などの自己研鑚といったことも、これに該当しているだろうか。多いですよね、セミナージプシー・気付きジプシー・感動ジプシーとか。

 

こうして例を挙げてしまうと、僕の「海外旅行が好き」というカモフラージュは、上記3つのうち、2つを満たしていますね。


「みんなほめてくれるから好き」=ファッションとして捉えている/ 周囲から良い意味で面白いヤツだと思ってもらえる

「現実逃避できるもの」=日常からの現実逃避

 


こうして言ってしまうと、まるで全てを否定してしまっているようにみえてしまうけど、それは違う。


というのも、人間ってなかなか自分の本音には辿りつけない生き物で、こうした経験を通して、その”苦しさ”を体験しないと、ホントに自分が欲しがっているもの・ことに辿りつけない。


だから、機会があれば、自分が今、好きでやっていると思ってことを、一度疑ってみてほしい。


『これ、ホントに、好きなのか?』


この問いを自分にすることによって、ラクになれることって、たくさんあるので。

 

 

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記事を書いた人>

平林孝之 メンタルコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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モチベーションを育てる時期

これは先日私がツイッター上でつぶやいたことです。

私自身の経験上もそうですし、あなたの経験上でも、本当に必死に何かに取り組んでいたときって、"必死"とか"一生懸命"などの意識は全くなく、頭と身体が勝手に物事に取り組んでいたのではないでしょうか。

というのも、必死だの一生懸命だのを実行している状態というのは、別の表現をすると「瞑想状態」です。

ただただ取り組んでいることに集中している状態で、それをしているときには、余計なことは一切考えていません。「必死」とか「一生懸命」とか言う意識は全くなく取り組んでいます。


ですから、相当ぶっちゃけた話をしてしまうと、「モチベーションの上げ方」を意識している時点で、"自分にはやる気がまだありません"と言っているに等しい。


コーチングはモチベーションを上げるスキルのひとつと認識されている方も多いため、コーチングを学んでいると、「モチベーションの上げ方」といったノウハウに触れることも多いですし、私自身自らを実験台にして、様々な方法を試行錯誤しています。本を読んだり、ワークをこなしたり。


ただし、今情報として出回っているノウハウを実践してみても、なかなかモチベーションが上がらず、何かやるべきことややりたいと思っていることに取り組めていない人というのも、実際にはかなり多いのではないでしょうか?


モチベーションを上げるためのノウハウを実践して、それだけでやる気が出てきて行動できる人も確かにいます。ですが、実際にはそうした人はごくごく少数でしょう。


自己啓発セミナーなどに参加してみて感動してやる気になって、「これまでの自分を改めます!」と宣言してみても、翌日には元に戻りますよね?


一時的に気分を盛り上げてやる気を発揮することは、スポーツの試合などの短時間のものには有効ではあるものの、仕事や勉強などの長期的なことには不向き。


かなり以前から多くの人がモチベーションをテーマに研究していて、かつその内容に触れて実践してきた人も多いはず。ノウハウだけは腐るほど存在している。にもかかわらず、日本の経済は一向に上がっていかないし、ネット上では疲労感や失望感たっぷりの書き込みがたくさん。



なぜ、多種多様な情報に触れ、効果があるはずのワークを実践しても、なかなかやる気・モチベーションというのは芽生えていかないのでしょうか。


やる気というのは、本来湧かせるものではなく、自然と湧いて出てくるものであり、かつ、それなりの時間をかけて育てていくものです。にもかかわらず、ロクに育っていないうちから結果を出そうと躍起になる。


その様子は、コップにまだロクに水が溜まっていない状態で、エネルギーが満タンに溜まっていない状態で動くようなものでしょう。欠如している空の部分を埋めるために"一生懸命さ"が必要になってしまいます。

 

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しかし、こうした”一生懸命さ”は、エネルギーを前借りしているに等しい状態のため、最初のうちは少し頑張れても、結局長続きしません。それでは、本当に望ましい習慣も身につかないし、当然、結果も出ない。


こうした事態を防いで、自然とやる気が湧いてきて行動できるようになるためには、モチベーションを育てる時期・期間が一定以上必要になります。

 

やりたいと思っているのに全然できない
やるべきと思っているのにやる気が起きない


こうした想いを育て続けて臨界点に達したとき、人は自ら勝手に動けるようになります。もし忙しくて時間がなかったとしても、自ら工夫して優先順位を最優先において、時間を捻出するようになります。

 

その様子は、自分の心の深いところから常にエネルギーが放出され続け、常にコップから水が溢れ出ている状態。

 

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このモチベーションを育てている時期は、周囲の関わり方というのもとても重要になってきます。

というのも、悔しい想いを感じて、その悔しさが自分の心の内へと入っていく必要があるにもかかわらず、周囲の躾けや説教によって、その想いが自分を叱る相手に向かってしまい、想いが育たなくなってしまう可能性があるからです。せっかく育っているものをふいにはしたくないですよね。


ただ、他人は目に見えてわかりやすい結果でしか人のことを判断できません。これはもう仕方のないこと。「今はやれてないけど、いつかはやるんだ!」って言ってみたところで、結局何にもやれずじまいという人もまた多いですし。

 

ですから、自分には意欲があることがわかっている人は、人から何をどう言われようと、その想いを心の内側に落とし込み続けてモチベーションを育てていきたいものです。


とは言うものの、こうして自分でじっくり気持ちを育てなくても、一生懸命な行動習慣を築くことは可能です。そのために我々のような存在がいます。

 

 

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平林孝之 メンタルコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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SNS時代の友だち付き合いとチャット

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SNSの普及で、以前よりも格段に人と繋がりやすくなり、以前ならまず知り合えるはずのなかった人とも友だちになりやすくなりました。

ただし、みなさん感じていることでしょうが、やはりその御縁の大半は"薄い"し"浅い"ですよね。

チャットなどをしていても、文字中心のやり取りで、相手の様子を窺い知ることなく会話をしています。どんな表情をしているのか、どんな雰囲気を出しているのか、笑っているのか、泣いているのか、不機嫌なのか、ご機嫌なのか、そんなことは全くわかりません。

しかし、コミュニケーションをチャットだけに頼っていると、文字だけしか見ていないので、些細なことをキッカケにちょっとした諍いになりやすい。

コミュニケーションにおける文字というのは単に「内容」でしかないのです。実際のコミュニケーションの現場では、言葉にならない部分の比重が大きいにもかかわらず。

この「文字」だけを頼りにしているコミュニケーションでは、相手がその内容をどう受け取るかがカギになるため、そもそもの性格がネガティブだったり、プライドがとても高かったり、自分に自信 のない被害妄想が強めの人が受け取り手の場合、諍いに発展しやすい。

従って、チャット上においては、あまり感情を露わにする表現は使わない方がいい。そして、喧嘩を売られても買わないのが健全です。

 


それに加えて、LINEやWhatsApp、Facebookメッセンジャーなどは「既読」かどうかもわかる。故に、「何で読んでくれているのに返事が無いのだろう?」と疑心暗鬼になりがち。鈍感な人ならともかく、繊細で傷つきやすい人にとっては気味が悪いだろう。

「私は何か気に障ることを言ったのだろうか?」と気になる。


こうした場合は、「相手には相手の事情があるのだ」と放置しておくに限る。

  • 忙しいのかもしれないし
  • とりあえず内容に目を通してみたものの、返事をするには都合が悪い状況にあるのかもしれないし 
  • 単に返事をするのが面倒くさいのかもしれないし
  • 返事をしようと思ってはいたけど忘れてしまっているのかもしれないし
  • 返事をするに値しないと思っているのかもしれない。
  • もしかしたら駆け引きされているのかもしれないし
  • もしくは、本当に関係に対して距離を置こうとしているのかもしれない。

いずれにせよ、相手には何かしら既読後も返事を出せない、もしくは出さない事情が何かしらあるのだ。そして、その事情は「仕事が忙しかった」という理由以外に本人から語られることは基本的に無いはずです。だから、相手の心理をいくら想像してみても、真相は決して知り得ないでしょう。


もしどうしても気になるのなら、メールに返信が無いのを催促
するのと同様に、実際に「返事が無いけどちゃんと見たのかどうか」を確認してみればいい。自分から何の確認も取らずに勝手に疑心暗鬼に陥るのは、どうかと思う。

 

 


そして、些細なことをキッカケに仲違いしてしまっているときも厄介です。

メッセンジャーツールはリアルタイム進行ではないし、顔を合わせることもないから、コミュニケーションを取りたく無いと思ったら逃げることが出来る。

相手が嫌いで会話したくないと思えば、相手からの問いかけに対して返事しなければ良いだけ。

しかし、一旦関係がこじれてしまった相手との関係修復に必要なのはやはり、"イヤでも接する機会があること"です。だから、学校の友だちや勤務先の同僚などは、どちらかでも関係回復を試みようという意思がありさえすれば、その機会はいくらでも作れます。

にもかかわらず、ネット以外で強制的に場を共有することが無い人との関係がこじれてしまった場合、関係修復の機会はほぼ無いはず。イヤでも接しざるを得ない場が無ければ、どちらか、または互いに逃げ続けることが出来てしまうために、関係の修復が不可能となってしまいます。

ですから、こうした非常に脆い関係性において重要なのは

「去る者は追わない」を徹底すること

もし自分が悪いと思う部分があるのであれば、素直に謝ればいい。でも相手を求めて必要以上に謝る必要も、自分を卑下する必要もない。

こちらが素直に謝った後、歩み寄って仲直りするのかしないのかは、もう相手が判断すること。謝った後にこちら側の取るべき責任はもう無い。

それでも修復出来ないのであれば、もう仕方ないと手放すしかないでしょう。


ただし、「去る者は追わない」とドライに徹しましょうと言っているわけではなく、「相手に再び振り向かせることは期待せず、自分がどうありたいか、どうしたいか、だけにこだわりましょう」という話です。


相手がどれだけ素っ気なかろうと、相手との関係性を改善したいと自分が思えば、そのためのアクションを取ればいいし、そこまでの必要は無いと思えば、それっきりにすればいい。

ここで注意したいのは、相手が自分の期待に応えてくれないからといって、相手を批判しないようにしたいですね。あくまで自分の想いだけにこだわっていているべき。

そうでないと、この時代のコミュニケーションは、優しい人・ 律儀な人であればあるほど、ツラいものにしかなっていかないでしょう。


そうは言っても、寂しいものは寂しいですけどね。こうしたとき、自分の場合は寂しいと思いながら歌うたっています。


これまで述べてきた対処は、言うのは簡単だけど、実際にこのように出来るようになるには、それなりに訓練は必要です。たくさん体験を重ねていった上でようやく身につき始めることかもしれません。むしろアッサリ出来てしまうようだと怖いですね。

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 メンタルコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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”相互理解は不可能”という前提から始めるコミュニケーション

今朝方、私のFacebookのタイムラインに飛び込んできた脳科学者・茂木健一郎さんのコラムが、いちいち「いいね!」したくなるような共感の連発だったのでシェアします。

 

gotcha.alc.co.jp

 

 

デジタルネイティブの子どもたちが成長してきた今の時代、かつてのコミュニケーションの手法は通用しなくなったと、茂木健一郎さんは語ります。

~(中略)~

 『バカの壁』は、人と人とがわかりあうことの難しさを養老先生らしい語り口で説いた本である。あれだけ売れたということは、皆、思い当たるところがあったのだろう。

「話せばわかる」と言えない時代の到来

もともと、日本人は、お互いを似たようなものだという前提からコミュニケーションを始める傾向がある。 「話せばわかる」「腹を割って話す」「胸襟を開いて話す」「無礼講」といった言葉は、きちんと話せば心と心は通じ合うという私たちの美しい信仰を表している。 ところが、時代が流れて、話せばわかるとも言えなくなってきた。養老先生の言葉を借りれば、コミュニケーションの「バカの壁」が至るところに出てきてしまっているのである。

~(中略)~

世代間ギャップより深刻な「壁」

子どもがスマホばかりいじっているというお母さんの嘆きをよく聞く。イメージとしては、スマホをいじる時間はさぼっているように感じるのだろう。 しかし、実際には子どもがスマホで何をやっているのかはわからない。

~(中略)~

話せば話すほど対立が深まる

政治では、リベラルと保守の間で言葉が通じない。日本だけではない。世界的な傾向だ。 リベラルと保守の立場の人たちが、お互いに相手を揶揄(やゆ)する呼び名は、世界各国に存在する。

~(中略)~

現代の社会は、至るところにコミュニケーションの壁、「バカの壁」があるように見える。 そして、どんなに意を尽くしても、心を開いても、その壁を乗り越えることは難しいようにも見える。 

~(中略)~

相互理解は不可能という前提から出発する では、意見が違う人、価値観が一致しない人は、無視し続けるしかないのか。コミュニケーションの壁は乗り越えることができないのか。

ここに、現代の生き方を考える上での、最も大切な課題があるように思う。

振り返れば、私たちは、お互いに心を開けば話が通じるはずだと思いすぎていたのかもしれない。壁を乗り越えられるという「期待値」が高いほど、そうでない時に失望してしまう。

~(中略)~

そのような絶望的認識に立ち返った時、それでも「パンドラの箱」の中に残る「希望」があるとすれば、そのかすかな希望から、もう一度コミュニケーションを立ち上げるしかないと思う。 

~(中略)~

しかし、コミュニケーションはもともと難しいのだ、至るところ壁ばかりなのだと思うと、かえって気楽になるように思う。

~(中略)~

「壁」があるからこそ、「壁」を乗り越える喜びもある。そう思うと、「壁」があるのもそんなに悪くはないと思えてくる。

茂木健一郎さんが語る、デジタル時代の「バカの壁」 - GOTCHA!

 

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 私が北京に来てから長いこと味わってきたのは、どうにもわかり合えることのない中国人義父母との同居生活。


同居させられてきた理由は、夫婦共働きで子どもの世話を日中面倒見れる人がいない、お手伝いさんを雇って対処している家は多いけど、うちの中方はお手伝いさんを全く信用できないから、ということでやむを得ず認めてきた。


で、同居し続けてきてどうか?というと、ホントにどうにもならない。

そもそも僕が生きてきた世界と彼らが生きてきた世界が違いすぎる。僕は基本的に恵まれた家庭で東京という大都会で比較的先進的な暮らしをしてきた。世界的基準でみれば、相当ラクな暮らし。そして父親が神社の家の生まれのために信仰は神道。加えて少しだけ霊感も強め故に信仰も一般レベルよりは強めだろう。そのせいか、あまり意識したことはないけど、どちらかと言えば右寄りかもしれない。「二百三高地」や「連合艦隊」などの戦争映画を見ると終盤は涙が止まらなくなるし(笑)

それとは対照的に、義父母はバリバリの共産党員で、今だに毛沢東崇拝を引きずっている。中華人民共和国建国の前からこの世に生を受け、激動のこの地でずっと生活してきた人たち。非科学的な迷信を多少まだ信じているところもあり、仕事を引退してからというもの、暇さえあればテレビやネットで抗日戦争ドラマばかり見ている(孫が日本国籍だってのに、そんなのばっか見てんじゃねぇよ!といつも思う)。そして、彼らに神はいない。

先日も、共産党がクリスマスを禁止して12月26日の毛沢東の生誕日を祝おうと訴えたとき、義父母も同調しだすから娘も気を遣って萎縮してしまって一悶着起こりそうだったし。

娘が発熱するときも大体モメる。39度の熱があって、1回病院行くならまだしも、夜になっても熱が下がらないからと深夜にまで1日2度目の激混み病院に連れて行こうとしたり。(近くないのに)

 
こんなにも違う人間同士が、同じ屋根の下で暮らしていてうまくいくはずがない。


そのため、僕は家出もしている。


こうした経験をしていると、相互理解というのがそもそも不可能な相手もいるのだということを否応なく思い知らされる。「全てを受け入れる」ことを人生修行のひとつとして捉えている人も多く存在しているはずだが、厳密にはこれは必ずしもそうではない。


日頃からわがまま勝手で人を排除しがちな人にとっては、「多くの価値観を受け入れる」ことは修行となるが、逆に、とても優しく純粋で善良な人たちにとっては、「自分の”嫌い”を素直に認める」ことが修行となる。

 

 で、だったらそんなところから逃げればいいじゃん、というのが普通の考え。ただし、僕には逃げられない理由がある。それは


娘の存在


娘は僕にとっても大事な娘だし、中方にとっても大事な娘だ。この子が互いにとって大事なものである限り、意見や価値観が違い過ぎるからといって互いに無視し続けることは出来ない。

 

そして、向こうは自己主張の強い中華民族であるのに対し、こちらはお人好しの日本人で、僕はとりわけその中でもかなりのお人好し。おかげでさらに苦労する。しかも、現状向こうは多数でこちらはソロ。ズルいにも程ってもんがあんだろう?と思わざるを得ない。

 

とはいえ、こんな経験からも学んだことがひとつ。それは

 

誰かとコミュニケーションを取るのに、いちいち相手と仲良くなることも嫌いになる必要もなく、必要に応じてやり取りしていればいい。その中で言い合いになることもあるだろうし、互いに談笑していることもある、ということ。


そもそも人がわかり合うということはホントに難しい。わかり合っているように見えても実はお互いに何もわかっていないということも多い。あくまで表面的な付き合いしかしていないのかもしれない。


高校生の頃、学年の半分がアメリカに短期留学をするというプログラムに参加したとき、それまで親友同士だったはずの人たちが、数ヶ月の同居生活を経て互いに憎みあうようになり、全く新しい人間関係が構築されていったケースをいくつか見てきた。

 

このように、人と人がわかり合うということは、本質的にはそれほどまでに、絶望的に難しい。


いや、そんなことは無い!という人は、それまで自分にとって居心地の良い人たち、ある程度価値観を共有できる人たちとしか付き合いを持ったことがないのかもしれない。


でも、そうして付き合っていて居心地の良い人たちとだけ接点を持つようにする、という生き方を否定するつもりもない。僕自身も出来ればそうしたいものだ。何よりラクだし。


彼らとの接点となっている僕の大事な娘も、生みたいと励んで子作りしていたわけではなく、ホントに偶然の授かりものなのだけれど、あまりの偶然性ゆえにそこには多少の宿命を感じている。だから、こうしたコミュニケーションの難しさを体感していることも僕の宿命のひとつなのかもしれない、と勝手に解釈している。

  

僕が上記のような経験から得た答えも、「わかりあえるはず」という期待や、本来は100点であることを前提としたコミュニケーションではなく


絶望的状態の「0(ゼロ)」から作っていくコミュニケーション。

多くの日本人が幻想として持っている"わかりあえるはず"を前提としたコミュニケーションって実は、100点ありきの減点主義的なコミュニケーション。

それに対して、絶望的状態の「0(ゼロ)」から少しずつ築いていくコミュニケーションは、加算方式のコミュニケーション。


僕と義父母は、僕らが日本にいた頃から諍いばかり。以前は「さっさと逝ってしまえばいいのに」と恨みもあったものの、異文化コミュニケーションというのはそもそも絶望的に難しいのだから、好きにも嫌いにもならずに必要に応じて少しずつ作っていけばいいということに気付いてからは、それほど恨みというものはなくなり


今では、資金に余裕があれば旅行に行くお金くらいは出してあげてもいいのかな?とか、向こうには向こうの苦労があるということも想像できる心の余裕も生まれるようになった。


かといって、好きになって仲良くなれることも、今後永久にないのでしょう。その必要性も感じないし。僕が中国共産党に洗脳されるようなら話は別だけど(笑)

 

僕がこうして長年イヤな想いをたくさんしながら得た上述の結論は、日本がこれから中国という隣の"面白いけどおっかなくて大きい”、得体の知れないこの国と付き合っていくための心得というか智慧のようなものが内包されているようにも感じている。


そうやって物事を俯瞰して考えてみると、自分のあり方も少し見えてくる。


金子みすゞの詩に

「みんな違って みんないい」

ってあるけど


僕から言わせれば

「みんな違って めんどくせぇ。
 でも、まぁ、しゃあないよね。」

って感じ。


以前の異文化コミュニケーションって、ある程度付き合う相手を選ぶことも出来ていたようにも思える。


しかし、グローバルスタンダード化やSNS流行の結果、世界は繋がりすぎてしまい、付き合う相手を選ぶこともまた難しくなっているはず。「みんな違って みんないい」というのは、あくまで付き合う相手を選べているときの理想でしかない。


だからこそ、そうした理想を追いかけることと並行して、もっと地に足つけて、付き合わざるを得ない相手とどう付き合っていくかについて、現実的な対処をしていった方が、実りは多くなると思うのです。

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 ビジネスコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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叱られても影響を少なくするために

こんにちは!

会社で上司などに怒られることはよくありますよね。私は特に営業職をしているときによく詰められていました。

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活動量が少ないとか
数字がいっていないとか
今日は何やって過ごしていたのか?とか

営業の仕事以外で上司に叱られた経験というのはほぼ皆無なのですが、営業やっていたときだけは結構叱られていました。

一般的に多く言われてそうなのが

企画書の出来が悪いとか
提案の詰めが甘いとか
そんな簡単なことも出来ないのか?とか
この給料泥棒!とか


色々な理由つけられて上司に怒られますよね。特に日本の会社の上司は怒ります。7年前から北京にある外資企業で2社ほど働いた経験がありますが、日本にいた頃と違って上司に叱られた記憶というものはほぼありません。

こうして20年以上も社会を経験してきて感じるのは、叱られようが叱られずにいようが、パフォーマンスにはさほど影響しない、ということです。

これをわかっていないマネージャーはとても多い。ですが、こんなところで日本人マネージャーはわかっていない!と一刀両断してみたところで世の中は何も変わりはしません。

それに、マネージャーが部下を叱るというのは完全に日本の労働文化のひとつと化しているようにも思えるので、叱られる立場の身になって、この乗り切り方についてアドバイスしてみようと思います。

これまでよく語られてきた叱られたときの対処法って色々ありますよね。

  • 上司を「ここでしか威張れない可哀想なヤツ」と思ってやり過ごす
  • 聴いているフリをする
  • ひたすら我慢してやり過ごす
  • もっと前向きに「指導してくれている」と解釈する
  • 五感を使って苦手なイメージから受け入れやすいイメージに変える


私はこれ全部試したことがあるんですけど、効果が今ひとつなんですね。こういう方法では怒られた恨みは全く晴れない。

最後の五感を使って叱る相手・苦手な相手のイメージを変えるNLPの「サブモダリティの変化」というスキルは、自分の従来の苦手意識に違和感を覚えるという点で比較的効果が高いように思いますが、もっと良い方法があるのではないか、とずっと想っていました。


そこでひとつ考えてみました。

叱られることの最大のデメリットは、叱られた側が萎縮してしまうことです。

萎縮するというのは、叱られること自体をとてもネガティブに捉えてしまうことによって発生してしまう心の現象。

叱る相手が、自分の言葉に思いっきり強い感情を乗せてしまっているがために、言葉だけを素直に受け取ることが出来なくなってしまいます。

で、萎縮してしまうと身体はどうなってしまうのか?というと

”呼吸が浅くなったり、止まったりしてしまう”のですね。

ですから、叱られるときに冷静に対処して萎縮せずに乗り切るには、叱られている最中に


呼吸を深くする
のが
最も効果が高く
イメージだとかなんとか
小難しいことをせずに済みます。


 

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呼吸が浅くなったり止まったりしてしまうと、相手の攻撃の気を非常に受けやすくなってしまいます。故に物凄くネガティブな精神状態になってしまうのです。

従って、相手に叱られているときでも正常な精神状態、比較的ニュートラルな精神状態を維持するには、ずっと深めの呼吸を続けていくのが一番です。

呼吸を止めずに深くし続けることを意識しながら話を聴いていると、相手の感情や攻撃の気を比較的流しやすくなるため、言葉そのものに意識を向けやすい状態を作れます。

これは何も別に特別な呼吸法を学ぶ必要はなく、自分の呼吸の浅さに気付いて、深く息をするよう心掛けるだけです。

ただし、人間は普通に暮らしていて自分の今の呼吸が浅いのか深いのか、ということに気付くことが出来ません。

こうしたことに気付けるようになるには、毎日5分~10分でも構わないので静かにじっと目をつむって瞑想でも呼吸法でもいいので実践していくしかありません

怒られることのないように仕事のレベルアップが図れれば良いのですが、此の世の中はそれほど単純なものではなく

上司の根性がひねくれ曲がっていたりすると、優秀であればあるほどネチネチやられることもありますし、それまで良いとされてきた方法が通用しなくなることもあります。

ですから、自分自身がブレずにいつでもどんなときでも相手のネガティブな氣を受けずに冷静に対処していくには

”呼吸を整えるクセをつける”に限ります。

是非、実践してみてくださいね。

 

<この記事を書いた人>

平林孝之 ビジネスコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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嫉妬との付き合い方

友だちの転職コンサルタントの梅田幸子さんのエントリーを読んで思うところがあったので、今回は「嫉妬」について言及してみます。

ameblo.jp

嫉妬すること

うらやましいと思うこと

 

 

それは

 

 

わたしも

そうあるべきだと思っていること。

 

 

わたしにも、

それがふさわしいと思っていること。

 

 

 

自分のこと、本当はすごいって

思っているってことだね。

 

 

 

嫉妬して、

自分がちっぽけだって感じる・・・・・・

 

 

本当は逆なんだね。

 

 

 

すごいって思ってるから、

嫉妬が生まれる。

 

 

人の成功がうらやましい
人の能力がうらやましい
人の幸せがうらやましい
大好きな誰々と一緒にいるヤツがうらやましい

 

自分が欲しいものを
手にしているヤツが
うらやましくて仕方ない

 

今まで生きてきて
嫉妬を抱いたことの無い人はなく

 

嫉妬というのは人の中で
かなりのシェアを占める
強烈な感情

 

ネット上では
そんな嫉妬を反映している
憎しみにまみれた書き込みが溢れている


成功しているヤツが許せない
能力の高いヤツは許せない
幸せなヤツは許せない
大好きな誰々と一緒にいるヤツが許せない


こうした想いって結局、

「本来の自分もそうあるべき」
「自分の同じかそれ以上のものを得る資格がある」

と心の奥底で思っているから出てくる感情

 

もし本当にそう思っていないのであれば
生まれる感情は
嫉妬じゃなくて憧れでしょう。


ただ、強い嫉妬が生まれるのは
嫉妬の相手に対して
または自分自身に対しても

 

ある一部分だけを良くも悪くも
都合よく切り取って考えるから

 

人を“うらやましい”と感じてしまう。

 

こうしたときは

 

相手がその欲しい結果を得るために
どれだけ頑張ってきたのか
どれだけの工夫を重ねてきたのか
どれだけの経験を重ねてきたのか
どれだけの苦労をしてきたのか

 

こうしたことへの想像力が
あまり働かずに
才能と環境に恵まれたおかげで
そうなれただけだと考えがち

 

それに
自分に対しても
その能力の無さを嘆いたり
環境の悪さを嘆いたり

 

相手と較べて
自分が劣っているところにばかり
関心が行きがち

 

でもある部分だけを切り取らず
全体的に自分を考えると
その相手には無い
たくさんの長所や魅力にも気付けるはず。


でも面白いのは
人って不思議で

「隣の芝は青く見える」

という言葉の通りで

 

互いを羨ましいと思いながら
生きていることが多い。


例えば、こんな僕に対しても
“アイツはうらやましい”
と思っている人はいる。

 

組織人という安定から
離れてみようと決断できることや
楽しそうに歌っていることだったり

 

半分お世辞混じりかもしれませんが
そんな発言を聴いた回数は
決して少なくありません。 

<逆に“アイツみたいにはなりたくない”
と思っている人も多いことは知っています(笑)>

 

でも、その僕も
立派な職についている人に対して
収入が安定していていいなぁ~とか

 

売れっ子フリーランサーをみて
“あのマーケティングセンスは羨ましい”とか

 

逆に

批判やクソリプが無くて良いなぁとか

自分の時間があっていいなぁとか

 

そうやって互いに羨みながら生きている。


だから嫉妬を強めに感じるときは

 

“自分にも同じものを得る資格・能力がある”

ということと

“自分も他の誰かから羨ましがられている”

 

ということを一度前提として考えてみて


相手を批判したり貶めることなく
何をどうしていけば良いのか
熟考していけたら健全でしょう。


嫉妬を抱く相手と
同じものを目指してもいいし
同じものでなくとも
匹敵するくらいに素晴らしいものを
どうやって目指そうか戦略を練る。

 

ただし、これはあくまで
能力的な問題に関しての話であって
恋愛に生まれる嫉妬はまた少し違う。


◯◯さんと一緒になれない
という葛藤に対しては
これかなぁ~。

 

これについて話すとまた長くなるので、ここでの言及は避けておきます。

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<この記事を書いた人>

平林孝之 ビジネスコーチ 大卒後、12年間音楽コンテンツ業界を経験した後、”ブレイブボード”を全国ヒット商品にしたスタッフの一人となる。北京に来てからは欧州系IT企業にてプロジェクト管理、ビジネスコンサルの営業職を経て創業。双極性障害など自身の過去の波乱な体験や、自身の国際結婚などの難しさからコミュニケーション・心理学を学び始め、プロコーチに。また、全て実務経験を伴った”MBA”状態のためビジネスコーチングが得意。合氣道などで学んだ身体からのアプローチによるリーダーシップ開発も行なっている。独学ながら中国語ビジネスレベル。中国日本商会・北京日本倶楽部・政府機関等での講演実績。米国NLP協会認定コーチ・トラストコーチング認定プロフェッショナルコーチ・心身統一合氣道初段

 

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